スポーツにおけるローカリズムとナショナリズムとグローバリズム

なんともカタカナの多いタイトルになってしまいましたが、いつか文字に書き起こそうと思っていたローカリズム(Localism)とナショナリズム(Nationalism)とグローバリズム(Globalism)について。

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これはエチオピアの首都にあるアディスアベバスタジアム (英語: Addis Ababa Stadium)。地元のお店らがスタジアムの壁に沿って、所狭しと並んでいます。地域の人は特にイベントがない日もここに集まって卓球をしたり、談笑したりと、まさにローカリズムな現場です。

続いて、スローフード。

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スローフードは、1986年にイタリアのカルロ・ペトリーニによって提唱された社会運動で、「イタリア人はマクドナルドを食べない」で知られるアレです。ファストフードに対して唱えられた考え方で、その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動です。

この例の二つはいわゆるローカリズム・地域主義という考えのもとにたっているわけですが、スクーデリアもいうまでもなくその一つで、ローカリズムの下チーム運営をしています。

それに対してナショナリズムとは国家主義、すなわち日本代表とかスペイン代表とかケニア代表とか、一国を一つの単位として考える思想です。だいたいの日本のスポーツは今、ナショナリズムかスク―リズム(school-ism,学校主義の造語)にたっています。ナショナリズムの考えは国家の団結力を生み、ときに大きな経済効果をもたらします。経済学や政治学では、グローバリゼーションに伴ってナショナリズムに批判が集まりますが、(ようは、国家単位で物事を考えるのではなくて国境を越えてフラットに考えようという事ですね。)スポーツには競争相手が必要である以上、スポーツ界には一定数のナショナリズム(国として闘う)は必要な考え方であるでしょう。

ところで、スポーツにおけるローカリズム(地域主義)はナショナリズム(国家主義)より経済効果が少ないかというとそんな単純なものでもありません。世界中で知られるユベントスの試合には2万人しか入らずとも、同じホームで知名度も低い、セリエAにすらいないトリノの試合に4万人も集まる現実があります。ローカリズムは範囲は狭いですがその土地の99%の人を巻き込むことができる可能性を秘めています。

例えていうなら、WBCは野球に興味のない女子高生を巻き込めないかもしれないけれど、ベイスターズが横浜市にもっと根づけば、横浜に住む女子高生はベイスターズ戦だけは見入るかもしれない、ということです。地域主義は、地域という狭い括りでスポーツをするからこそ、関係ないとか興味ないとかいう人たちを巻き込む勢いと文化があります。

ちなみにグローバリズムとは、国単位ですらなく、世界全体をフラットに考える思想ですが、前述の通りスポーツは敵やライバルがいるから盛り上がるのであって、全く敵のいないスポーツはスポーツとして成立しません。

何が言いたいかというと、私は現代スポーツは基本的にはローカル化をすべきだと思っています。エチオピアのように地域の人が集まるスポーツ施設を作り、スローフード運動のように地域人が積極的にローカルスポーツチームを応援することで、トリノのように実力派まだまだでも多くのファンができるチームが出来上がります。それによって選手はもちろん町全体が盛り上がるようになります。まずそれが第一です。

ナショナリズム(国家主義)に基づくスポーツ、すなわち国代表として戦うスポーツは、年に一度、もしくは数年に一度開かれる国際戦、ワールドカップとかオリンピックとかそういった大きな舞台では爆発的に盛り上がります。しかしそれはあくまでブームとしての盛り上がりであって、文化としての盛り上がりにはなりません。

-ローカリズムに基づいたスポーツは、文化となる可能性を秘めている-

アメリカやイギリスのランニングクラブ、ドイツやイタリアのサッカーチームなどみていると、私はそんな気がします。そして、文化としてスポーツが根付く事で、経済的な発展はもちろん、国民の健康とか、地域の発展とか、色々な相乗効果が生み出せると思うのです。

ところで、今日の朝食はなんだった?

この感覚で、昨日はベイスターズ勝ったね!と言えるのが、文化として根付いたスポーツのカタチであって、我々の目指すところです。

荒井

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